なんか違う

ライターの着火機能が子供事故防止のためレバーの操作がが重く(固く)なった。でも、それってなんか違うよ

刃物に例えると、切れない(ナマクラ)な刃物は危ない。余計なチカラを入れてしまうことで、誤って自分を傷つけることがあるから。だからこそ、周りのオトナが初期の段階でキチンと指導する必然性があるわけだ。そして、道具としての刃物をヒトが使うならメンテナンスを怠ってはイケナイ。

子供や弱者から危険な要素を遠ざけることは、一見ココロ優しいようだが危険なコトに関しての感性や認知する能力を阻害してしまうことになる。

アンタが楽なだけじゃん、そんなことしても怪我や事故が起こってしまうことは100%回避できないでしょ。じゃあ、不幸にも起こってしまった場合に対処するシミュレーションは出来てるの?

これって、管理監督する立場のヒト(ライターの場合は親とか)が責任放棄してるだけなんじゃないのかなと思う。言い訳や逃げ道を確保する前に、オトナとして子供や弱者に伝えるべき大事なことがあるんじゃないのかな。

怖さを知ることで、道具や機能は少しだけだけヒトがコントロール出来るようになる。とは言え、自然の摂理をリスペクトしないとしっぺ返しを食らうことぐらいオトナなら分かるはずなのにね。

僕は子供のころマッチで火を起こすのがやけどしそうで恐ろしく、当時家にあった古いタイプのガスコンロが使えなかった。そのため、手伝いでお湯をわかすように言いつけられても出来なかった。5歳になるころまでは甘やかされいて、そんなタスクは出来なくても良かったのだが、小学校に上がるころから朝の湯沸しは僕の仕事になった。

やけどするかも!という恐怖を抑えこんでキチンとお湯を沸かす行為は、大げさかもしれないけどまだ確立されてない自我の中で、アイデンティティを問われたような記憶がある。

少しの勇気を奮い立たせてマッチを擦って火をつけ、湯を沸かすことは慣れればどうってことはなくななった。

実際にやけどを負ったのは、マッチで火が起こせるようになって少ししてからだった。

なんのことはない、慣れてきたのでマッチを3本束にして擦ったら、火種が大きくなり足の甲に火種が落ちただけだった。やけどして嫌なキモチ(当時の僕は恥ずかしかった)になれば、次は上手くやろうというキモチが湧き上がることが大事なのではないだろうか。

ヤラせたげなよ、できないかもしれないけどさ。

モノに責任はなく、使うヒトにこそ責任はついて廻る。この認識に正直に向きあうことで得るものは大きい。

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