あそびをせんとやうまれけむ
まあ、なんでしょ、ぢしんからこっち、考えさせられることのみ多かったと思うわけで。
受身で乗っかって喋らされるのは苦手なので、こんなタイトルで。
遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
引用:梁塵秘抄
大意としては。
遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。
遊んでいる子供の声を聴いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう。
つれづれの文車より
考えることも大事だけど、感じて行動に移すこと、事程左様に大事かと。
突き詰めようとするわけではないけれど、刹那的と刹那に活きるのは違う理由(=ワケ)で。
それ剣は瞬息 心、気、力の一致
評価されなくても良いような生き方だけど、
味わうことを無くしてしまえば、残るのは残滓だけとなるのは無情なのかな。
まとまんないや。
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